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お願い、フォントをかえさせて

2015年秋、グラフィックデザイナーがウェブデザイナーになりました。

「同性愛は異常」を論破してみたよ!

 

headlines.yahoo.co.jp

 

この岐阜県職員のツイッターというのは

このツイートなのですがね。

f:id:emo_momomo:20151212113351p:plain

 もうこのアカウントは停止していますが…逃げた…

 

それぞれ、撤回した、撤回しないなどの違いはあれど

結局同じという印象です。

撤回したからって頭の中で考えていることが同じなら

別にそこに差はないと思うので。

撤回しないの方がより粗悪なだけです。クソ度、若干アップ。

 

 

さて、そんなわけで早速

大学の卒論のテーマは「少子化と少年犯罪の関係」な、わたくし雨飴が

「同性愛は異常」を「少子化問題」に絡めて、論破したいと思います!

 

まずは、藤墳県議の意見をご紹介します。

 

headlines.yahoo.co.jp

差別的な意識はなく、誰かを中傷するものではない。同性愛を社会全体が認めて拡大すれば人口減少につながるとの思いから発言した

 


「同性愛は異常」岐阜県議がヤジ 持論展開も謝罪(15/12/11)

同性愛やったら子供できへんがな。

それがどんどん拡大したら、(少子化に)拍車をかけるじゃないの。

 

ということはつまり、

「同性愛を社会全体が認めると、同性愛の人数が増えて、少子化になる」

「子供ができない結婚が広まったら、少子化になる」

と同義と考えられます。

 

んもう!お粗末すぎる!!!

 

 

では、さっそく藤墳県議がまちがっている点を挙げていきたいと思います。

 

  • 「同性愛者は、異性愛者になりうる」と考えている。

同性愛者は異性愛がしたくないから、同性愛をしているわけではありません。

もともと同性愛者なのです。

 

異性愛者と同性愛者の関係って、要するにこんな感じじゃないですか。

(丸の大きさとかはテキトーです)

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つまり、仮に社会が同性愛を認めるor認めないことによって

揺らぐことがあるとしたら、バイの人だけなんですよね。

偽装結婚とかはさておき)

社会がどうとかっていうので、この円を移動することはないのです。

※ここではカミングアウトの有無とかそういう表向きなことではなく、潜在的なもので分けています。単に異性が好きか、同性が好きかっていう。

 

 

  • 子供を"産めないこと"が少子化に繋がっていると考えている

まず少子化についてから少しお話ししたいと思います。

正確には今問題とされているのは、「少子高齢化」です。

つまり、子供が少なくて、老人が多いことが問題です。

 

そしてその少子高齢化の原因は、「人口転換」にあります。

人口というのは社会の発展に伴い、

多産多死→多産少死→少産少死

と変わっていきます。

これは何も日本だけの話ではなく、どんな国でもなる人間社会の摂理です。

 

日本でいうと、

多産多死(戦後のベビーブーム)

 ↓

多産少死(第二次ベビーブームくらい)

 ↓

少産少死(今)

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戦後日本における人口転換: 夢幻と湧源

 

そして少子化で問題とされているのは

特に団塊の世代ジュニアが定年を迎える15〜20年後、

支える側(若者)より支えられる側(老人)の方がはるかに多くなってしまう

という点です。

 

ここで重要なのは、支える側が赤ちゃんではだめだということです。

赤ちゃんは基本的に消費するだけで、まだ何も生産できません。

「支える側」というのはつまり「社会人」なのです。

(だから特に今危機感が高いのです。15年後に対処しても遅い、と)

 

要するに、少子化は子供を産めば解決するわけではなく

大切なのは、いかに子供を大人になるまで育てられるか、ということです。

 

これは極論かもしれませんが、

同性愛者は「子供を産むことはできないが、育てることはできる」のです。

子供が産めない夫婦が、親のいない子などの里親になるように、

同性愛者も里親になれるのです。(制度的には無理っぽいけど) 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

これまた極論かもですが、

虐待するような異性愛者の親に育てられるならば、

愛情ある同性愛者の親に育てられる方が

子供は幸せに育ち、「社会人」になれる可能性が高くなります。

 

少子化という観点から見たら、

産めるか産めないか よりも

育てられるか育てられないか の方が重要なのです。

産んでも育てられないなら少子高齢化的には意味がないですし、

それを見越しての晩婚化も考えられます。

 

要するに、じじいに言われたくねーよというところでしょうか。

 

 

  • 昔(多産多死または多産少死)の方が、少産少死よりも優れていると考えている

多くのじじばばがこう考えているかと思いますが、

少産少死というのは、社会が成熟した証です。

少産は、人数を減らすことによって手厚い子育てを、の現れですし

少死は、医療の進歩の結果です。

 

社会が発展し、人々が成熟すると

おのずとこういう考えになるのです。

そして、40点を70点にするよりも、70点を100点にする方が難しいように、

高度経済成長期以前の日本を、先進国に入れることよりも

GDP3位の大国である日本を、さらに発展させるのは難しいのです。

 

仮に、日本がエンドレスで多産少死を続けていたとしましょう。

人口は膨れ上がり、この狭い島国に収まらなくなります。

また、それに応じて経済が発展するわけではないので

一人一人が得られる富みは総じて減るでしょう。

 

日本はもう、「量より質」になったのです。

 

 

  • 少子高齢化社会の原因は、若者じゃなくて、そもそも老人にある 

そして、この「量より質」という子育てを生み出したのは

何を隠そう、核家族世帯を生み出しまくった、1960〜70年代にできた家族です。

だいたい戦争間際〜戦後生まれが親世代の家族ですかね。

※現在74歳の藤墳県議はまさにこの世代ですね。

日本の場合、核家族率そのものは1920年大正9年)に55%とすでに過半数を占めており、1960年代に急激に上昇し1963年(昭和38年)には流行語となった。その後1975年(昭和50年)の約64%を頂点としてその後は徐々に低下し始めている。

核家族 - Wikipedia

 

彼らは、自分の両親との同居をせずに

サラリーマンの父、専業主婦の母、そして子は2人という

典型的な核家族という形を作り、続けてきました。

これを「家族の画一化」といいます。

ここは専門だけど長くなるから端折ります(笑)

ちなみに画一化の大きな要因は、テレビドラマの影響だと言われています。

テレビドラマの家族がみんなして核家族だから

それがふつうだと思うようになった…という。

意外にも?テレビの普及と密接な関係があります。

 

つまり、かく言う藤墳県議もこの「画一化された家族」が形成していった

少子高齢化」になっていった社会の一員だったのです。

 

今の若い夫婦が生まないのが悪いわけではありません。

(ましてや同性愛者が生まないからなわけがない)

その若い夫婦の人数すら足りていません。

もうそれは責任のなすりつけです。

 

少子化」にしたのは、

自分の兄弟よりも少ない数の子供しか産まなかった

戦後の大人達に原因があったのです。

そりゃそうですよね。

自分は4人兄弟とか5人兄弟なのに、自分の子供は2人兄弟なんですから。

そりゃ人口のバランスは傾くに決まっています。

戦前のように簡単には人は死なないのですから。

 

それに日本が永遠に高度経済成長期やバブルなわけがありません。

いつかは落ちる、少なくとも停滞するんです。

それは人口だって、経済だって同じです。

永遠に上り調子なわけがありません。

 

それを今更になって、子供を産まない若者のせいにするなんて

お門違いもいいところです。

極論ですが、責任をとってある一定の年齢になったら死ぬというならば

この出生率で十分なのです。

理想の出生率は1.8ですからね。たぶん今は1.4くらい。

 

問題は「少子高齢化」であって「少子化」ではないのです。

子供が少ないことが悪いのではなく、老人とのバランスが悪いから悪いんです。

 

 

少子化に関して言えば、

晩婚化とか、女性の社会進出とか、非正規雇用とか、いろいろあるけれど

長くなりすぎるのでまたまた端折ります。

知らない人は、ぐぐってください(笑)

 

 

最後に…

  • 少子化以前に、そんな現代社会を理解していないくせに、議員をやっているというのがもう間違いなのでは?

それ言ったらいよいよお終いですが、

そもそもこの少産少死の話や家族の画一化というのは、

少子高齢化問題の基礎の基礎の基礎です。

少子高齢化の原因を調べたら、すぐ出てきます。

少産少死なんてWikipediaにも載ってましたよ!

 

もちろん、同性愛者についてだって、どういうものなのか知っているべきです。

ムーブメントとしてあるわけではないけれど、

オネエ系タレントさんが増えることで、同性愛者を目にすることも増えた社会で

そんなことも理解せずに、国民のための仕事をしているのか、と。

同性愛者だって、もちろん国民ですからね。

 

 

藤墳県議は、じじいです。

じじいは、今でもじじいの時代を生きています。

藤墳県議が若者の時代に、戦前の考えは古いと思ったように、

高度経済成長期の考え方は、成熟した今の日本にはそぐわないものです。

時代はいつだって、時代を作る若者のものです。

 

わたしはそもそも、ボケてるのかボケてないのか微妙なラインの

じいさんたちが政治を行っていることに疑問を感じています。

歴史上の人物で社会を大きく変えた人間に、70、80のじじいはほぼいません。

じじいはいつも、権力闘争や自分の権威や利益ばかりです。

定年を過ぎてなお、社会を動かす力が自分にあると考えていることそのものが

わたしは間違っていると思います。

 

今後、社会構造上生産性のない老人たちを支えるために

死ぬほど働いて、それをどんどん税金で取られることで収入が足りず

結果結婚も遠のいて、下手したら仕事を苦に自殺してしまう若者たち。

みたいなわけのわからない構造が生まれます。

てか生まれてます。消費税さらに増えますしね。

 

それでいいのか?

 

最後のはこの問題だけに言えたことじゃないですが…

以上、藤墳県議を論破してみました。

 

 

次はもっとくだらないこと書きます(笑)